今回のテーマは「サクッと」。
3/23、摩耶山では、摩耶詣が行われた。
まだ一度も見たことがなかったので、一度見学に行こうと摩耶山への登山を計画していたが、
調べていると、摩耶詣に合わせて、企画登山(阪急ハイキング)が、、摩耶山で行われることが判った。
阪急ハイキングは参加者の多い企画で、賑やか過ぎる場所はお好みではないので、
摩耶山へは、また別の機会に登ることにした。
山行日の土曜日は、あいにくのどんよりとした曇り空で、気温も低い。
翌週(3/30〜31)は仕事で山には入れないので、どこかに行きたいのだが、
行先を決められないまま、お昼になってしまった。
しかし、家にくすぶっていても仕方ない。
春分も越えて、日が長くなったとはいえ、
もう長いコースは無理なので、短めにサクッと登ることにした。
まず、歩こうと思ったのは、三森谷西尾根。
ここのところ、絵葉書写真ページの写真を増やすため、諏訪山周辺をよく歩いており、
トアホテル絵葉書の背景に写っている山を同定した時に、歩いたことがないなと思い出した尾根だ。
この尾根を下りで歩くことを決めた。
登りをどこにしようか、これも迷ったが、諏訪山周辺を歩いた帰り、北野道を通った時に、
北野谷東尾根の登り口に、派手なマーキングが施されていた。
この尾根10年前に歩いたきりなので、久しぶりに歩いてみることにした。
メインの三森谷東尾根だが、三森谷と呼ばれる由来は、少し調べたが不明だった。
唯一、「三森」の記述があるのが、S35年4月発行の、
「マウンテンガイドブックシリーズ36 六甲とその周辺」。
巻末に、六甲山が国立公園に編入されるにあたり、地名整理箇所の1つとして、
旧名「堂徳山」→新名「三森山」に名称変更すると記述があった。
但し今でも、堂徳山は「堂徳山」の名称が一般的なので、それほど拘束力のある変更ではなかったのだろう。
それ以外では、前の辻道(前ヶ辻ではない)→アイスロード、城山→鷹尾山などの記載もあり、
こちらは後者の新名の方が一般的になっている。
○布引城山〜山本通3町名BS
城山の登山道を西へ進む。
錨山方面分岐で左折。
堂徳山分岐から再度DWに下り、ドライブウェイを歩く。
最初の右折カーブ(カーブNo.25)が三森谷西尾根の下山口となる。
前半は緩やかな下りが続く、踏み跡も明瞭で迷うことは無い。
登山道が浸食されて倒れた石柱。
この付近の地中深くに、西宮方面から奥平野浄水場に向かう水道管が通っているのだろうか。
三宮方面の展望が開けるピーク。
展望ピークから先は、やや傾斜がきつい場所が多くなり、地質も花崗岩が風化した真砂が多く滑りやすくなる。
目印となる鉄塔(中山手支線六)を通過。
鉄塔下に少し開けた場所がある、ここは踏み跡が不明瞭でルートが少し判り難い。
地形図にある、西へ下る破線道のある場所だと思われるが、
関電の巡視路は直進方向なので、真っ直ぐ進みやや左にある踏み跡を辿る。
直ぐにイノシシ除けのフェンスと扉がある。
扉の先に関電巡視路を示す、火の用心道標があるので、ここで右折する。
この場所、直進方向にも踏み跡があるが、おそらく外国倶楽部の敷地に当たり脱出できない。
山腹をトラバースする踏み跡を進む。
この付近で5回(4頭の)イノシシと出合った、前述のイノシシフェンスより市街地側だ。
なんらかの方法で、イノシシフェンスより市街地側に出てしまったイノシシが、山に戻れない状態なのだと思う。
イノシシフェンスの存在が、本末転倒になっている。
墓園に入る鉄橋を渡る。扉は鍵が掛かっているので、左側から越える。
下山途中に山行日が彼岸中であることに気付いた。
墓参者が多いと、柵を乗り越えるのはかなり怪しい。
地形的には巡視路の右折点から、逆の左に進めば、北野町西公園方面にも下れそうだったが、
今回は素直に踏み跡がある、墓地へ下山した。
少し視線は浴びたが、私的にはまあOKな範疇だった。
追谷墓園からDWを下り、山麓線(バス通り)へ。
トアロードを南下し北野ホテルを越えた辺りに山本通3丁目BSがある。
三宮まではバスに乗るほどではないので、そのまま徒歩で帰路に就いた。