今回のテーマは「昭和10年頃の大師道を歩く」。
今回は手持ちの「神戸市神戸港地方字口一里山實況圖」という地図をもとに
昭和10年頃の大師道を歩いてみることにした。
この地図は、現在の大師道周辺の地番図のようなものだ。
地図に、大師道途中にあったヒヨコ会館(S7-S13)が記載されていることと
再度山DW(S10開通)が正確に描かれていることから、
昭和10〜13年頃のもとだと思われる。
また戦前の登山道の基本図とも言える、
六甲_摩耶_再度山路図(以下山路図と記載)も昭和9年に発行されたほぼ同時代のものなので
こちらも参考にしながら歩くことにした。
昭和10年発行の地形図と現在の地形図を比較してみても、
大師道はほぼ同じ場所を通っており、探索するには都合が良い。
勿論、詳細にみれば、阪神大水害(S13)で、地形も変わっているだろうし、
その後に建設された砂防堰堤で、道の場所も変わっていると思われる。
阪神大水害の被害は大きく、おそらくヒヨコ会館がS13に無くなっているのも、水害によるものだろう。
再度山と下流の被害は元町6丁目(筆者所蔵絵葉書)、下山手付近・再度山DW(神戸市サイト)などの写真を参考にして頂きたい。
以前にも解説してるが、今回参考にした地図名の、
「地方(じかた)」とは、中心部との対比で周辺部を意味する言葉で、
「神戸港地方」で、神戸港の周辺部を指すことになり、主に再度山南麓付近の地名となっている。
「口一里」は山の入会権に絡んで、
六甲山を南北に3分割(口一里、中一里、奥一里)した一番南側の地域を指す。
○山麓(諏訪山付近)
今ひっそりと住宅脇に立っている諏訪山遊園の石碑。
以前はもっと道に面した場所にあった。
諏訪神社参道、おそらく鳥居の位置は戦前と変わらない場所だろう。
現在は公園になっている場所は、地図に「大日本武徳會兵庫支部」と記載されいる。
この場所には武徳殿という、簡単にいうと武道の道場があった。
又、昭和12年神戸市観光課発行の公園概況によると、
武徳殿敷地内に、滑り台やブランコなどが設置された、児童遊園もあったようだ。
武徳殿が解体された後は、池になったようだ(所蔵の鶏卵紙写真をパソコンで補正)。
※神戸市サイトに本写真と同様の写真があり、キャプションに諏訪山池(武徳殿跡より諏訪山を望む)とある。
登山口周辺探訪を終え、大師道を登っていく。
少し登った場所の谷側ガードレール。
布引の舗装路などによくある古いタイプのものだ。
地図の大日本武徳會兵庫支部北側緑色部分は神戸山手女子。
校史によると大正15年にこの場所に移転してこられたようだ。
○燈籠茶屋付近
燈籠茶屋の南側に、読めない漢字の茶屋が一軒記載されている。
山路図には「柳茶屋」の名称がある、場所的にはこの付近になる。
燈籠茶屋だが、今回の地図でも山路図でも、現在の位置よりも南側にあったようだ。
おそらく下の2枚の写真付近にあったと思われる。
今回の地図にはないが、山路図には記載されている稲荷茶屋。
現在の燈籠茶屋南にあるクスノキ。
大師道から話は逸れるが、本項の地図右上に「国旗掲揚塔」の記載がある。
場所的には、今は故障している風力発電施設のある場所だ。
○ヒヨコ会館付近
登山道が「コの字」を描いてる部分だが、
茶屋やその付属家・住居だったと思われる廃屋が密集している。
山ノ井茶屋。
中茶屋。
ヒヨコ會舘。
滝ノ茶屋。
建物は残っていないが、この付近に福助茶屋があった。
山路図にはドツク茶屋とも記載されている。