○摩耶ケーブル下BS〜掬星台
スタートは、市バス18系統摩耶ケーブル下駅。
上野道登山口へのアクセスはこちらのページも参考にして頂きたい。
バス停背面の植え込みに上野道登山口への案内図がある。
摩耶ビューラインケーブル線は大正14年開業。
駅舎に、開業以降の写真などが張り出されている。
ケーブル駅階段左側の植え込みに、十八町の丁石(町石)がある。
丁石は一丁(約109m)毎に設置された道標で、上野道の場合は旧天上寺までの道のりを示している。
上野道は丁石が多く残っているので、町石道の異名もある。
この丁石は、上野道登山口に向かう途中の住宅地にあったものが移設されている。
文安四年の刻印があるので、1447年室町時代末期、応仁の乱の20年前のものだ。
登山口への坂を上ると突き当りに高齢者施設がある。
この場所は、かつて閻魔堂があった十王山光明寺の跡地である。
光明寺については、MuscleTurtleさんが詳しく解説されているのでそちらをご覧頂きたい。
上野道の登山口、十七丁の丁石がある。
登山口には、ハイキングコースの案内板があるので、確認しておくと良いだろう。
上野道の登山口付近は、五鬼城展望公園として整備されている。
この付近に居住していたと言われる豪族五鬼氏にちなむものだ。
三ヶ所展望所があり、以前は麓に近い方からA展望所、B展望所、C展望所と名付けられていた。
この展望所、古い城跡などの研究者からは、摩耶山城の砦、上野塞の跡と言われている。
五鬼氏については、登山道の西側山中に解説版があり、以下の通り記載されている(写真は以前撮影したもの)。
五鬼城之由来
昔この地に五鬼氏と云う豪族が住んでいた。
祖頃この辺りは昼尚鬱蒼たる大森林に覆われていた。
この自然の要塞を砦として外敵のしばしばの襲来にも一度として敗れた事なく、
従って一族は益々隆盛を極めて繁栄したものである。
当時この付近に住む土着民達の暮しは大変貧しく
「病気貧乏ふしあわせ」等で苦しむ人々が多く実に憐れな生活であった、
此の姿を見た五鬼氏は五情の戒めを説いて幸せの道として多くの人々の救済に尽くされた。
この素晴らしい威徳を讃えて永くこの地の守護神とされたが、
今日では僅かに五鬼城の名称のみ残されているにすぎない。
五鬼城講
登山口からひと登りすると、十六丁石の場所に分岐があるので、右方向に進む。
左の石段を上がって左側に展望所がある。
少し進んだ鉄棒のある広場は右側に進む。
続いて2箇所目の展望所がある。
景色をみるなら、この展望所が良いだろう。
更に進み、ベンチがある十三丁石。
登山道には所々、古い石段や石垣の跡が残っている。
虹の駅との分岐で直進。
暫く進むと、廃屋が残っている。
この大きな廃屋、用途不明だが、この付近に民家があった記録もあるようだ。
廃屋付近の斜面に残る建物の残骸は、この付近にあったバンガロー村のものだろう。
開けた場所に出る。
展望所は百万弗展望台(のちの千万弗展望台)の跡。
ケーブル虹の駅。
この駅舎、塗装や屋根は変わっているが大正14年開業当時のものだ。
立ち入りは禁止になっているが、駅舎向こう側から僅かに廃墟として有名な、
摩耶観光ホテルの屋根を確認することができる。
摩耶観光ホテルについては、こちらのサイトで詳しく解説されている。
ケーブル駅からロープウェイ駅に向かう途中の平地は、かつてこの付近にあった茶屋の跡。
ロープウェイ駅にはトイレがある。
駅舎内には、摩耶山々頂にあった奥摩耶遊園の当時の写真などが掲載されている。
ここから先は、旧天上寺への参道の雰囲気が強くなる。
高尾明神社横を越える。
摩耶花壇跡。
かつてこの場所にあった、食堂や宿泊施設を備えた施設があり、のちに茶屋が建てられた。
残っている廃屋は茶屋時代のものだ。
摩耶花壇については、こちらのサイトで詳しく解説されている。
初代摩耶花壇は、斜面に建設されており、正面から見ると地下部分にも建物があった。
地下のコンクリート遺構が現存している。
少し進むと峠茶屋跡。
この付近が鎌倉幕府討幕に挙兵した赤松則村(円心)の摂津摩耶山城の跡と言われている。
築城は元弘3年(1333年)と伝えられている。
三丁石と宝篋印塔。
T字路で青谷道と合流する。
その先にも茶屋の跡。ラムネなどを冷やした「アメヤ」と彫られた遺物が残っている。
旧天上寺仁王門。
仁王像は現天上寺の本堂に安置されている。
屋根は茅葺だったが老朽化が進み撤去されている。
参道石段を登る。
参道脇には、かつて塔頭や宿坊が建っていた。 石垣はその名残だ。
旧摩耶の大杉の道標地点から左に少し進むと、既に枯れてしまっているが巨木がある。
史跡公園。
昭和50年1月30日放火で焼失するまで天上寺があった場所だ。
史跡公園出口左側に三又に分かれた杉の巨木がある。
三社権現跡の分岐は、左方向の奥ノ院道に進む。
所々に残る石窟は、先ほどの分岐から山頂をを経て一周する八十八カ所巡りの跡。
赤松則村(円心)の公碑。
山頂直下に旧天上寺奥ノ院跡がある。
奥ノ院跡から右方向に進むと、磐座「天狗岩」が祀られている。
天狗岩の向こう側に摩耶山々頂の三角点がある。
三角点から左方向に下り、舗装路を右に進むと掬星台に到着する。
掬星台を含む、摩耶山上の解説はこちらのページをご覧頂きたい。
掬星台から、まやビューラインで帰路に就いた。