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摩耶遺産(摩耶山とその周辺の遺跡や遺構)


摩耶山とその周辺にある、昭和以前の遺跡や遺構を紹介するページです。

摩耶ケーブル虹の駅周辺から摩耶山上にかけて点在する、
旧天上寺遺構やケーブル・参道を中心に発展した山上文化の遺跡や遺構を「摩耶遺跡」と呼称し、
観光資源として活かそうという活動が行われてる。

同じ名前は使えないので、 このページでは「摩耶
遺跡」で紹介されているメジャーな遺跡や遺構ではなく
ちょっとマイナーな摩耶山とその周辺の遺跡や遺構を「摩耶
遺産」と呼び紹介したいと思っている。
紹介内容には以前からあれこれのページで紹介しているものを含んでいる。

尚、各情報に誤り等があれば、ご教示頂ければ幸いです。

(ページ当初開設日2018/5/19)

〇摩耶遺産リスト

No. 場所 備考 訪問難度
01 東山砲台 別ページ
02 奥摩耶遊園跡 別ページ
03 神戸カントリー倶楽部ゴルフコース
(布引カントリークラブゴルフ場)
別ページ
〜C
04 山陽新幹線布引横坑  
05 川崎正蔵翁銅像  
06 高雄山堰堤導水隧道  
07 こだまの丘風向計  
08 二十渉取水場・ポンプ場  
09 杣谷妙見宮  
10 六甲山上簡易水道施設群  
C

※訪問難度 A:観光程度、B:一般ハイキング程度、C:登山熟練者向け

〇摩耶遺産マップ

本ページで紹介している摩耶遺産の場所を地図にまとめています。
(クリック・タップで拡大表示)


○No.04 山陽新幹線布引横坑

山陽新幹線神戸トンネル(新神戸駅西側のトンネル)工事に掘られた横坑の跡。

山陽新幹線開通前は、現在の新神戸駅付近に布引中学校や看護学校が存在した。
用地買収に手間取っていたため、トンネル入口すぐの場所だが、工事を進めるために横坑が設けられた。
 

●アプローチ

ANAクラウンプラザホテル裏側の駐車場出入口脇から階段を登った場所にある。


グーグルマップでの場所はこちら

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○No.05 川崎正蔵翁銅像

かつて布引に居を構えていた川崎正蔵(神戸川崎財閥創始者)男爵の七回忌を記念し、
大正7年12月に建立された銅像の跡。

すでに銅像は無いが大理石と思われる台座などが残っている。
現在は別の個人所有地となっているので、立ち入ることはできない。


こちらの台座には川崎芳太郎(川崎正蔵の甥(のちに養子))男爵の銅像が立っていた。


銅像があった頃の様子。
 

●アプローチ

市街地に近い、徳光院山門横にある。
徳光院へは、新神戸駅東側の新砂子橋を渡り、写真の位置で左折し坂を上っていくと山門があるので直進する。
 

マザーツリーハイキング時の訪問記録はこちら、グーグルマップでの位置はこちら

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○No.06 高雄山堰堤導水隧道

高雄山堰堤建設時に、布引谷の水を迂回させたトンネルの跡。

登山を始めた頃からこのトンネルの存在は知っており、
神戸市、六甲砂防、北神急行、神戸市道路公社(当時の新神戸トンネル管理元)などに問い合わせをしたが、
用途が不明だったトンネルである。

現在も確証は無いが、トンネルの位置、入口付近から確認できる内部の構造、トンネルを調査した方の情報などから
砂防堰堤建設に関するトンネルである確度は非常に高い。
尚、これも推測だが、高雄山堰堤上流側の土砂堆積度合いから、反対側は土砂の下にあると思われる。

高雄山堰堤は、昭和42年11月着工・昭和44年12月竣工なので、
トンネルは建設から50年以上経過している(2018年5月現在)ことになる。

僅かだがトンネルから水の流れがあり、登山道を横切っている。



●アプローチ

新神戸から市ヶ原を経由しトゥエンティクロス方面に向かう。
黒岩尾根分岐の先にある小堰堤の上流東側(上流に向かって右側)にある。

写真下が上流(トンネル)側。



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○No.07 こだまの丘風向計

摩耶山々頂西側、天狗道と黒岩尾根を繋ぐ、
アドベンチャールート途中にある、こだまの丘に設置された風向計。
推測だが設置は昭和30年〜50年代頃。

赤松滋氏著作の「ワンデルングガイド六甲山」によると、

〜小道はアドベンチャールートと称され、〜、左の道を少し登ると、
粒子の細かい露岩の展望台を経て〜

とあり、掲載された地図に「こだまの丘」の名称がある。

アドベンチャールートで、「粒子の細かい露岩の展望台」
と呼べる場所は風向計のある辺りだけなので、
ここがこだまの丘だと思われる。

木製の土台部分は年期が入っているが、
ステンレス製の風向計部分は、今もピカピカに光っている。


風向計のそばには、判読不能の解説版や切り株の方位板もある。



●アプローチ

アドベンチャールートの途中、
天狗道側から歩くと、木製ベンチを越えて、
鎖場が2箇所連続する場所の手前の鎖を登った場所にある。

写真右側の鎖を登る。


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○No.08 二十渉取水場・ポンプ場

トゥエンティクロス登山道の分水嶺越林道分岐先で、
登山道が右岸から左岸に渡渉する地点に、廃墟となった建物がある。
 

この建物は、水道施設で二十渉取水場・ポンプ場の跡だ。


二十渉取水場・ポンプ場は、北神水道の施設で、鈴蘭台方面の水道水の一部を賄っていた。
昭和38年に建設が開始され、昭和39年2月には、とりあえず原水のまま、東小部浄水場への送水が開始された。

谷沿いに残るコンクリート遺構も、取水設備に関するものだろう。
 

その後、北ドンリッジ登山口付近の修法ヶ原浄水場が稼働した。


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○No.09 杣谷妙見宮

杣谷堰堤から摩耶東谷を渡渉し、山寺尾根末端を少し登ると左側(西側)に石垣がある。


石垣の階段を登ると、小さな広場になっており、妙見宮の石碑が残っている。


この場所にかつて妙見宮があった。

昭和16年の文献「六甲北摂ハイカーの径」には、

右岸道が水害で崩れたので橋を渡つて火葬場下を約二〇〇米で
右手の杣谷本流と左手の摩耶東谷の出合に至る。
そこからその中間の松林道を少し上ると妙見堂があり、
左に摩耶山道と右に杣谷道が岐れる。


と記述があり昭和13年の阪神大水害以後も
この場所に妙見宮があったようだ。

また同じく昭和16年の文献「近畿の山と谷」には、

阪急六甲登山口下車、篠原の大通を西進、杣谷川岸に達し、
右岸に沿うて長峯火葬場を過ぎると摩耶からくる谷との
會流點で杣谷川を渡り少し進むと一軒家のある處から道が分かれ、
左へ曲がれば摩耶参詣道、右に眞直に進めば杣谷に入る。

と記載されている。
妙見宮は、布引貯水池横の水天宮やシュラインロードの行者堂のようなものだったと考えていたが、
「近畿の山と谷」には、一軒家と記述があり、この一軒家が妙見宮を指すなら、
もう少し大きい、かつて青谷道にあった、行者堂のようなものだったのかも知れない。

現在も、石碑の向こう側(北側)の尾根を少し登ると小さな祠が残っている。

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○No.10 六甲山上簡易水道施設群

この遺構は、当時、山上での水需要が高まっていた六甲山上で、
昭和35年着工、昭和37年4月に給水を開始した、六甲山簡易水道の施設で、
生田川上流に、取水堰堤、塩素減菌室、摩耶ポンプ場が、摩耶別山々頂に摩耶接合井が建設された。

摩耶ポンプ場から摩耶接合井まで揚水管(2523.3m)で接続され、
摩耶接合井から、六甲山上方面に給水管が伸びていた。

元来、生田川の源流は、獺池とされており、
現在の徳川道から シェール道に少し入ったところに取水堰堤が設置された。

尚、穂高湖を形成している穂高堰堤は、砂防堰堤として
昭和36年11月に着工し、昭和41年1月に竣工したものだ。

天上寺裏の摩耶別山々頂に、当時、摩耶接合井が有り、六甲山上方向へと水が運ばれていた。
現在、この場所に遺構は無く、改修され現役の配水池として機能している。
当時は摩耶山から六甲山上方向に給水されていたが、
現在は、六甲山上(奥山川)方向から摩耶山に向かって水が運ばれている。
 

配水池横の舗装路には、現在は使用されていない貯水槽があった。


以下の施設を訪問される方は、こちらの山行レポを参考にして頂きたい。

徳川道から、シェール道へ少し入ったところの西側に、古いフェンスが見える。


ここが、塩素減菌室や摩耶ポンプ場があった場所になる。
今も敷地内に建物が残っている。


この場所から、生田川に降りて、周辺を少し探索してみたが、取水堰堤の跡は発見できなかった。

徳川道とシェール道分岐から、南側に続く踏み跡が桜谷北尾根。
先ほどの摩耶ポンプ場からこの尾根を通って、摩耶接合井まで揚水されていた。

尾根中盤には、水道管を随所に見ることができる。
 

また排気弁等の設備も尾根の随所に見ることができる。
 


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