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布引久形橋はどこにあった



昔の神戸や六甲の書籍や写真でよく目にするこの橋、名前は久形橋という。




実際この橋はどこにあったのだろう。
おそらく昭和初期くらいの絵葉書なのだが、 写真に写っているものを推測するとこんな感じになる。




兵庫史談という、戦前の歴史研究書によると、
「花園社が開設した布引遊園地というのは先ず馬淵の新生田川の流れ口に久形橋と称する板橋があって」
とある。 この記述は明治前期の内容であり、写真は昭和初期だと推測されるので、
橋は少し立派になっているが場所はそれほど変わっていないと思われる。

また、『造船王川崎正蔵の生涯』という書籍に掲載さてる布引川崎邸の敷地見取り図では、
川崎邸の敷地は布引谷入口ギリギリのところまであり、写真の辺りには「温室」と記載がある。

現在新幹線高架下BBQ河原にある、この施設は布引礦泉所の天然礦泉湧出井戸で
絵葉書の布引谷と苧川谷の合流点ギリギリまで礦泉所があったことと一致する。


大正12年の1/25000の地図と現在の地形図を今昔マップで比較すると
布引谷と苧川谷の合流点は今と変わらない。地図の橋が久形橋だとすると新幹線駅舎の高架下辺りになる。




布引礦泉所はそれなりの敷地があるように見えるので恐らく
久形橋は今の新神戸駅直下の生田橋の北端辺りにあったのではないかと推測される。



BBQ河原の一部、駅レンタカーの駐車場などは布引礦泉所の敷地だったのだろう。


更に遡り明治初期から前期の鶏卵紙写真にも久形橋は写っている。



写真に写っている建物は布引観光で開業した料理屋や茶亭だろう。
写真と同時期と思われる摂津国布引瀧圖という版画によると建物は長生楼と門樋ではないかと推測される。



余談だが、布引の料理屋や茶亭はダム建設による水量低下や六甲山上開発により衰退していった。
門樋という料理屋はその後宝塚に移転し門樋楼として繁盛した。
映画監督の小津安二郎氏が宝塚で撮影の際宿泊した場所としても有名だ。


※本ページ掲載の絵葉書、写真、地形図、版画等は筆者所有のものです。


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