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七三峠 由来考


○七三峠の由来について考えてみる

※本ページ記載内容は、筆者(Tokiwa)の私見であり、推論です。過去文献等による解説ではありません。

鍋蓋山々頂から縦走路を東進すると、すぐに南の平野方面に向かう分岐がある。
この道を下っていく途中、今使われていない林道トンネルと立体交差する場所があり、七三峠と呼ばれている。

 

この「七三峠」という名前。
多くの方が古い文献や登山書など調べておられるのだが由来が判らない。
私もいろいろ調べてみたのだが、全く由来が判らなかったので、
様々な客観的事実の積み上げで、名前の由来を推測してみることにした。

七三峠の場所。現在と過去の地形図では以下の通りだ。


七三峠は、いろいろな意味で重要な場所だと思われる。

・現在では、中央区・兵庫区・北区の区境となっている。

・旧神戸市境界石があり、神戸市と山田町(村)の境界となっていた。

・西の高座と東の再度越北に、口一里と中一里を分ける塚があり、境界線が七三峠付近を通っていた。
 (山魚さんの慶長絵図の学術解析に詳しく記載されている)

 六甲山中に一里塚があったことを考えると、境界石のある盛り土のような地形も「塚」ではないかとも思えてくる。


そもそも「峠」という名前は、簡単に説明すると、山の中に人が通る道が有り、登りが下りに変わる場所だ。
そう考えた時、七三峠は南北に見ると「峠」として成立していない。峠と呼べるのは東西に見た場合だ。
西の極楽谷から登ってきて、西池谷への下りに変わる場所が七三峠だ。
七三と聞けば、7割3割と言う意味だと考えるのが自然だと思うので、東西に見た何かの割合ではないかと考えた。


(六甲摩耶再度山路図より引用)


地形図などから推測できる七三峠の名前の由来は、

・天王谷越(有馬街道)と再度谷越2本の主要道を繋ぐ峠道の7:3の割合の場所にあるから。

・高座集落と再度谷集落の7:3の割合の場所にあるから。

・高座と再度越北にあった一里塚の7:3の割合の場所にあるから。


このどれかが「七三」の由来ではないかと考える。

実際にスケールをあてると6.5:3.5くらいの割合なのだが、
昔の人が正確な地形図を手にする機会は少なかったと思われるので7:3でも問題ないように思う。

その他考えた可能性として、

・七三峠の「七」は「十」と字体が似ており、前述の通り塚のような地形もあることから十三塚信仰に由来し、
 元々は十三峠であったものが誤記などで転じて七三峠となった。
・山中なので考え難いが、条坊制や条里制の区画の番号であった。

などがあるが、距離の割合由来を含め、いずれも決定的根拠が無い。

七三峠の名前の正確な由来をご存じの方がいらっしゃれば、ご一報頂ければ幸いです。


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