六甲山の地理・歴史(神戸カントリー倶楽部ゴルフコース(布引カントリークラブゴルフ場))
○神戸カントリー倶楽部ゴルフコース(布引カントリークラブゴルフ場)
※ゴルフクラブ名が、文献により異なっていますので、名前を併記しています。
六甲を中心に登っておられる方や神戸に長くお住まいの方なら、
現在の布引ハーブ園の場所にゴルフ場があったことをご存じだろう。
昭和38年に開業したこのゴルフ場、無謀な開発を行ったため、
昭和42年の水害で斜面崩壊を起こし、
市ヶ原地区で、21名の死者を出す人災を引き起こし4年で幕を閉じている。
遺産は遺産でも、「負の遺産」といってよいものだろう。
まずは、当時のゴルフ場がどれくらいの規模であったか、
過去の航空写真から、観てみようと思う。
まずは、1964年(昭和39年)の航空写真に、現在の登山道を重ねてみた。
現在の風の丘付近に建物が確認できる、多分クラブハウスであろう。
風の丘周辺の地形は、ゴルフコースだったと聞けば、納得できる地形だと思う。
ゴルフ場の北端は天狗道に近い場所まで広がっている。
1964年なので、まだ山陽新幹線は開通していない。
写真の赤×印は、以前世継山を探索した時に見つけた下写真の道路跡だ。
航空写真からコースを繋ぐ道路のようだ。
その他、ゴルフ場関連だと推測される遺構。
世継山の西斜面には、水道関連の設備跡がある。
ゴルフ場開設以前に、世継山々頂に施設や設備があった記録はないので、
詳細は不明だが、この設備もゴルフ場のものではないかと推測される。
コンクリート壁が、東山砲台付近のものと似ているが、世継山々頂に軍事施設があった記録はない。
付近の軍事施設は、雷声寺下の宅地付近に照空隊があっただけだ。
風の丘南側の谷止めではないコンクリート壁と水道関連ではないかと思われる施設跡。
世継山々頂下西側のコンクリート遺構。
1967年(昭和42年)7月9日、水害が発生する。
その年の水害前後の航空写真があった。
水害後の写真を見ると、市ヶ原で2箇所大きな土砂崩れが発生しているのが判る。
※こちらの航空写真、縦横比が正しくなく、登山道を重ねることが出来なかった。