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六甲山の地理・歴史(奥摩耶遊園)


○奥摩耶遊園
摩耶山上にかつてあった遊園地、奥摩耶遊園の跡を訪ねてみた。

摩耶山上掬星台周辺は、2020年度より再開発が予定されています。
本ページ記載の遺構も取り壊される可能性があります。


各種資料から奥摩耶遊園地の見取り図を作ってみた。(出典:奥摩耶山荘パンフレット他)
(概略なので年代的に同時期に存在しない等整合性が取れていない可能性もある)。


奥摩耶遊園見取り図

ロープウェー駅と駐車場(現天上寺駐車場)は現在と同位置だろう。

NHKアンテナ設備のある辺りはユースホステル。
サンテレビ送信所は休憩所。
黒岩尾根方面のベンチ等のある広場はキャンプセンターだったようだ。

ホテル奥摩耶荘の北半分と別館(ホテル奥摩耶荘の上の長方形)が現オテルド摩耶の位置だと思われる。


〇当時の山上施設の一部

(以下3枚の写真は、神戸市交通局パンフレット「おくまや」より引用)


奥摩耶ホテル(現オテルド摩耶)。


NHKの送信所付近にあった、奥摩耶ハウス(林間学校)。


現摩耶の石舞台の西斜面付近にあったバンガロー。



〇奥摩耶遊園があった頃の絵葉書

掬星台、右上が虹のかけはし展望台。


奥摩耶遊園のコースター付近。




奥摩耶ホテル(現オテルド摩耶)と奥摩耶ユースホステルの遠景


いこいの丘(現摩耶の石舞台付近)と六甲放牧場(現六甲山牧場)


虹のかけはし(現日の出テラス)と奥摩耶マウントコースター




〇掬星台の売店

掬星台の自動販売機南側ベンチのところに石とコンクリートの囲いがある。
売店跡

この場所には、1974年頃には、写真のような売店があった。
(神戸市発行の市民のグラフこうべNo.30から引用)
ただ、写真建物の基礎部分をみると、綺麗なコンクリートなので、
現在残っているコンクリート基礎部分とは形状が異なる。
現存する基礎部分は、建物左側の植木の養生用囲いだったのかも知れない。


1975年の航空写真では、売店は今の掬星台広場の北側を塞ぐような形で建物があったようだ。
国土地理院で確認できる1961〜1974年の写真にも同じ建物が写っている。
 

こちらは今(2009年)の掬星台の航空写真。



〇現在も残っている当時の痕跡

現日の出テラスがかつての虹のかけはし展望台。
虹のかけはし展望台1

テラスの東側下方に古い手摺やタイルが残っている。
おそらく、虹のかけはし展望台時代の遺構と思われる。
虹のかけはし展望台2

自然観察園の入口は野外ステージだった。
中央部分へ緩いすり鉢状に傾斜しているのが客席。
野外ステージ1 野外ステージ2

更に整備が進んだ現在の野外ステージ跡。
アドベンチャールート(摩耶山)37

あじさい池はスケート場。
スケート場

こちらも整備が進んだ現在のあじさい池。
アドベンチャールート(摩耶山)39

こどもの丘にある遊歩道はコースターの跡。
コースター1

今は苔ではっきり見えないが、赤字でコースターと書かれている。
コースター2

このコンクリートの壁の間もコースターが通っていた。
コースター3

前述の摩耶の石舞台西側のバンガローがあった場所付近。
いまでも、踏み跡だけは縦横無尽に走っている。
周辺を探索したが、建物基礎のようなものは発見できなかった。
バンガロー



〇パノラマ絵葉書

最後に絵葉書をもう一枚、国立公園奥摩耶全景。
絵葉書を2枚接続したパノラマ形式になっている。


星の駅隣接のサンテレビの送信所(昭和44年4月試験放送開始)が写っていないので、
昭和30〜43年頃のものと思われる。
しかし、この写真どこから撮影したのだろう、桜谷や黒岩尾根方向だと思うのだが。。。



※本ページでは、昭和30〜40年代の絵葉書や書籍・公団体発行のパンフレットからの引用写真を使用しております。
 撮影者が不明や法人名義で、著作権が消滅していないと思われる写真があります。
 著作権者や著作権継承者の方がおられましたら、お手数ですがこちらまでご連絡をお願い致します。



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