六甲山の地理・歴史(東山砲台跡)
○東山砲台跡(三七一高地 高射砲陣地)
神戸の「砲台跡」でまず思い浮かぶのは和田岬砲台跡だろう。
和田岬砲台は江戸時代末の砲台跡だが、東山砲台は太平洋戦争中の高射砲陣地だ。
東山砲台に展開していた部隊は、太平洋戦争について記述されている複数サイトの情報によると、
昭和18年8月7日編成の中部軍中部防空集団神戸防空第十三連隊で、
昭和20年4月28日に、陸軍高射第三師団高射砲第一二三連隊と改称・改編されている。
神戸市戰災燒失區域圖によると、
東山砲台は、昭和20年3月7日、6月5日を中心とした神戸大空襲での爆撃を免れている。
砲台の遺構は、東山東峰のピークを中心に、旧摩耶道・東山尾根・東山東尾根に点在している。
コンクリートや煉瓦の遺物は、大半が東山砲台に関連するものと考えられる。
高射砲台跡(陣地跡)とはこのような場所だ(ファーザーのHPさんのページ)。
●砲台(砲座)跡
旧摩耶道・学校林道の分岐から東山尾根方向に進むとすぐに神仙寺道との分岐道標に出る。
東山尾根方向に進むと、複数の石垣が確認でき、石垣上の平地にはコンクリート片や瓦が散乱している。
写真の道標の向こう側に写っているピークが砲台跡だ。
神仙寺道方向に進むとすぐに倒木を越える。
倒木を越えた辺りで右(西)側ピークを良く見ると、いくつかのテープとコンクリート壁が木々の間に見える。
このコンクリート壁を目標に少し登る。
コンクリート壁の上部が砲座跡だ、円を描くようにコンクリートの遺物がある。
高射砲の砲座は、3門分確認することができる。
●軍事施設跡
神仙寺道分岐から、東山東尾根方向に進むと軍事施設だった建物跡が確認できる。
●軍道と推測される道の跡
写真は昭和23年に撮影された航空写真だが、東山砲台と東側に付属施設が確認できる。
東山東尾根から青谷摩耶橋方向に重量物の運搬用と推測される九十九折の道が確認できる。