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六甲山の地理・歴史(みよし観音)


○みよし観音

みよし観音



みよし観音建立の由来になった航空機事故の現場状況は現地碑文にある通りだ。

この事故は1964年2月18日に発生した、日東航空(NAL)101便グラマンG-73マラード(JA5067)墜落事故である。
(日東航空は後の日本国内航空→東亜国内航空→日本エアシステム→日本航空インターナショナルである)

NAL101便は午前8時21分頃、雪の大阪国際空港(伊丹空港)を徳島に向けて離陸、直後にキャブレターの凍結が疑われるトラブルで失速する。
不時着を試みるが電柱に主翼が衝突、尼崎市田能二ノ坪(現在は空港敷地内)の畑に墜落し炎上、 乗客乗員10名中2名が亡くなった。
亡くなられた2名のうち乗員の1名が、スチュワーデス麻畠美代子さんだ。

なぜ「六甲山上聖浄の地」にみよし観音が建立されたのか正確な経緯が記載された文献は発見できなかった 。
普通に考えれば事故現場付近に建立するものだと思うのだが、たぶん六甲山からは阪神一円の「空」を見渡す事ができるからだろう。

45年前の飛行機であるグラマンG-73マラードは乗客定員10名(日東航空運用当時)の小型水陸両用機だ (ウィキペディアで機体が確認できる)。

尚、みよし観音から大阪国際空港の事故現場は真東から5度程北より(85度)の方角だ。


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